串本町「潮風の休憩所」が開館5年 真珠貝ダイバーの軌跡

 “移民県”であったといわれる和歌山では、親族や知人が移民だったという話を聞くことが、珍しくはありません。しかし、若い世代にはあまりなじみがないのでは。「潮風の休憩所」を通して、移民の歴史について興味を持ってみませんか。

串本町からオーストラリアへ潮風の休憩所を訪ねて移民を知ろう

2014年、本州最南端・潮岬に設立された無料休憩所「潮風の休憩所」が、7月20日(土)でオープン5周年を迎えます。休憩所の内部には、潮岬のジオサイトや自然の紹介、展望テラスの他、串本町のオーストラリア移民の歴史に関する展示室があります。

同館は、もともとあった下村海南(宏)の記念館を改装したもの。下村記念館が老朽化したため、新設しようという動きがあり、地元住民による「移民に関する記念館を作ってほしい」という声を受け、環境省主導のもと設立に至りました。串本町産業課の中裕幸さんは、「設立から2018年までに、延べで約34万人が訪れました」と話します。

串本町からオーストラリアに渡った移民たちは、主に採貝業に従事した“真珠貝ダイバー”たち。館内にあるパネルや遺族会から寄贈された展示物などで、彼らが出稼ぎに行った経緯や現地での働き・暮らしぶりが、臨場感たっぷりに説明されています。

和歌山県の移民史に詳しい、和歌山大学観光学部・東悦子教授に、オーストラリア移民について話をききました。内部や展示物についても、写真とともに紹介。

新天地を求めて海を渡った先人たち

移民の歴史を知ることが多様性を受け入れるヒントに

「和歌山県は、全国有数の“移民県”です」と話すのは、和歌山大学観光学部教授の東悦子さん。JICA横浜の海外移住資料館展示資料「われら新世界に参加す」の中の、1885~1894年、1899~1972年間の都道府県別出移民数を見ると、和歌山県は第6位。移住先は、ハワイ、アメリカ本土、カナダ、オーストラリア、ブラジルなど多岐にわたります。今回は「潮風の休憩所」で紹介・展示されている串本からのオーストラリア移民について聞きました。

当時発行されていたパスポート

ボタンを作るため、くりぬかれた真珠貝(白蝶貝)

日本人が渡豪を始めたのは、1878(明治11)年。新天地を求めて、主に若い男性が単身で渡りました。主要な労働は、真珠貝(白蝶貝)の採取。真珠貝は高級ボタンの材料になり、高値で取引されていました(真珠は副産物)。行き先は、オーストラリア・アラフラ海に面するダーウィン、ブルーム、木曜島。「海とともに暮らしてきた串本町の人々は、海に関する知識や技術を持っていました。さらに日本人らしい勤勉さや責任感の強さ、重労働をいとわない姿勢があったため、優秀なダイバーとして重宝されたといいます」

ダイバーズヘルメット

「潮風の休憩所」内展示の様子

重いヘルメットと潜水服を身に着け、海の底で真珠貝を採取するダイバーの仕事は命がけ。いつも危険と隣り合わせでした。潜水病(減圧症)や、流れが速く見通しが悪い海底での遭難事故、サイクロンなどにより、重い障害を負ったり、亡くなったりしてしまう場合も。木曜島だけでも、約700人の日本人移民が亡くなっており、日本人墓地が複数建てられています。

このような危険な仕事であったにも関わらず、渡豪する人が増え、1897(明治30)年、全豪在留邦人は2000人を突破。木曜島で真珠貝ダイバーとして働く人は900人を数え、その中で和歌山県出身者は約8割にものぼったとか。粘り強く働く日本人の中には、ある程度成功を収める人も。しかし、言葉や文化の違いはもちろん、差別による苦労もあったようです。「1903年、豪政府は自由移民の渡航を禁止。それ以降はダイバーの縁故による“呼び寄せ”が主流になりました」。やがて第2次世界大戦がぼっ発し、真珠貝の採取は休止されることに。戦争が終わると再開されますが、プラスチックなどの台頭もあり、真珠貝の需要は激減していきます。

現在の日本では、労働の担い手として外国人を受け入れるという、逆の事態が起こっています。言葉や文化、習慣の異なる地で働く外国人労働者は、かつて移民として外国に渡った先人たちに重なる部分があります。移民史を知ることは、現代の課題となっている、さまざまな人や文化との“共生”を考えるきっかけに。「移民の歴史を知らない若い世代にも知ってもらえたら」と東教授は話します。

和歌山から海を越え、見知らぬ土地で、たくましく生きた移民たちに思いをはせてみましょう。多様性が重要視されていく、これからの社会・暮らし作りのヒントが見つかるかもしれません。

1878年
島根県出身・野波小次郎がオーストラリア木曜島で初めて採貝業に従事
1882年
和歌山市出身の中山奇琉が、木曜島へ渡航。のちに、木曜島発展の先駆者と呼ばれるように
1897年
オーストラリアに在留している日本人が2000人を突破。木曜島で採貝労働をする人は900人になり、そのうちの約8割が和歌山県出身者
1901年
オーストラリア連邦成立。「移民制限法」により、日本人移民が禁止される。日本人事業主として成功を収めていた佐藤虎次郎らが日本へ強制帰国
1941年~1945年
第2次世界大戦(太平洋戦争)ぼっ発。オーストラリアにいた日系人は収容所へ送られる
1953年
戦後初となる採貝船が串本港からオーストラリアへ
1961年
プラスチック製ボタンの普及にともない、採貝漁業は停止

 

 オーストラリアから木曜島への移民の歴史が展示されています。100点以上の貴重な展示物がずらり。館内の壁面には、串本町周辺の自然や歴史を学ぶことができるパネルもあり。
 もちろん休憩所としてもゆったり利用できるので、移民史に触れたいときだけでなく、潮岬を旅行で訪れたときにもぜひ立ち寄ってみてください。串本町のホームページから、パノラマ写真を楽しむことができます(https://www.town.kushimoto.wakayama.jp/)。

潮風の休憩所
住所 東牟婁郡串本町潮岬2865-1
お問い合わせ先 0735(62)5750
営業時間 午前9時~午後5時
休日 無休
備考 入場無料、情報コーナー、休憩所、トイレ、車いすスロープ、フリーワイファイ完備

 

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