トップ > 講義内容

講義内容

地域に精通した研究者ならではの講座により、和歌山の歴史や文化を深く学べます。

1

大河内智之(和歌山県立博物館主任学芸員)

高野・熊野の神像研究最前線−世界遺産登録後の進展−

大河内智之(和歌山県立博物館主任学芸員)

 2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録されたのち、高野山及び熊野三山の神像研究は飛躍的に進展しています。普段接する機会の少ない神像を対象に、高野・熊野の信仰世界の枠組みを考えます。

 

ページのトップへ戻る
2

吉村旭輝(和歌山大学地域活性化総合センター・紀州経済史文化史研究所特任教授)

徳川頼宣と和歌祭の創始

吉村旭輝(和歌山大学地域活性化総合センター・紀州経済史文化史研究所特任教授)

 1621年(元和7)、紀伊藩主・徳川頼宣は天海を和歌山に招き、天耀寺(のちの雲蓋院)と東照社(現・紀州東照宮)を創建させる。翌1622年には和歌祭が創始された。頼宣は東照社に祀られている徳川家康(東照大権現)を駿府藩主として看取った身であり、その後全国で整備された東照社祭礼の「モデル」を創始したとも考えられる。本講座では和歌祭の創始を中心に同祭礼と頼宣や天海との関係を明らかにしたい。


ページのトップへ戻る
3

山陰加春夫(高野山大学名誉教授)

高野山開創1200年〜その歴史と文化〜

山陰加春夫(高野山大学名誉教授)

 真言密教の道場、入定信仰の霊場「高野山」。弘法大師空海の開創以来、1200年に及ぶ歴史と文化を、多方面から分かりやすく解説します。「現世(この世)の中の来世(あの世、異空間)」に誘います。

 

ページのトップへ戻る
4

水島大二(日本城郭史学会和歌山支部長)

徳川の城と和歌山城

水島大二(日本城郭史学会和歌山支部長)

 信長・秀吉の天守は板張りの黒壁。これに対して、家康の天守は白壁。以後、白い天守は徳川の城と称されるが、初代頼宣が和歌山城で見た天守は「黒」。のち、白い天守に改修して、より徳川の城を強調する。その特徴とは・・・・・。

 

ページのトップへ戻る
5

小山譽城(和歌山信愛大学非常勤講師)

御三家紀伊徳川家の成立

小山譽城(和歌山信愛大学非常勤講師)

 なぜ徳川御三家が紀州に設置されたのか。また徳川家康の十男頼宣が父から与えられた駿府城(静岡市)から和歌山城に移されたのか。紀伊徳川家の祖頼宣が家康の寵愛を受けて大名として育てられた経緯や、兄秀忠が家康死後に最高権力者として行った政策、秀忠の御三家構想などその政治的背景について考察します。

ページのトップへ戻る
6

山本殖生(熊野三山協議会幹事)

熊野三山・参詣道の設立と魅力

山本殖生(熊野三山協議会幹事)

 熊野三山(本宮・新宮・那智)は、自然崇拝に淵源をもつ個別の発祥がルーツ。11世紀後半には熊野三山として神仏習合の霊場となった。そこに詣でる参詣道も各ルートがあり個性が知られる。熊野三山・参詣道の成立と意義を考える。

 

ページのトップへ戻る
7

海津一朗(和歌山大学教育学部教授)

神風はふいたか?蒙古襲来

海津一朗(和歌山大学教育学部教授)

 弘安の蒙古襲来のさなか、金印で有名な博多の志賀島に金剛峯寺の衆徒一向が出陣した。その目的はなにか。蒙古襲来が日本の社会に与えた影響を、紀伊半島から問い直す。

 

ページのトップへ戻る
8

小山譽城(和歌山信愛大学非常勤講師)

紀伊徳川家の参勤交代

小山譽城(和歌山信愛大学非常勤講師)

 紀伊徳川家の参勤交代は、御三家ゆえに特別の扱いを受けていました。その経路の変遷、行列の規模と威光、旅行道具、宿の手配など道中の藩主や家臣の状況を検証し、参勤交代の意味とその実態について考察します。また、藩主の初めてのお国入り(御初入)についても触れます。

 

ページのトップへ戻る
9

藤本清二郎(和歌山大学名誉教授)

徳川吉宗とその母浄円院

藤本清二郎(和歌山大学名誉教授)

 徳川頼宣が紀州入部して86年後に家康のひ孫徳川吉宗が97年後に紀州家から将軍が誕生した。将軍になるまでの33年間、和歌山での生まれ育ち、藩主時代についても講義する。あわせて母浄円院他の女系史にも言及する。

 

ページのトップへ戻る