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文化財 仏像のよこがお
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				−第71回−文化財 仏像のよこがお「過疎集落の仏像のゆくえ」峯地蔵寺旧蔵の地蔵菩薩立像 少子高齢化による人口減少が加速度的に進む日本社会で、文化財(地域の歴史や文化の諸相を伝えるさまざまな歴史遺産)を維持継承することが、とても難しい課題となっています。集落から人がいなくなったと…  
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				−第70回−文化財 仏像のよこがお「講の解散と仏像のゆくえ」霊現寺薬師如来坐像 「講」とは、特定の神仏への信仰により結びついた集団組織です。伊勢講や大師講、地蔵講など対象はさまざまで、仏像や掛け軸、御膳などの道具類を用意し、定期的に集まって法事を行い、菓子や酒食をともにして楽し…  
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				−第69回−文化財 仏像のよこがお「広利寺十一面観音立像と像内銘」広利寺十一面観音立像 有田市宮原町、かんきつ畑が斜面一帯に広がる山中に、広利寺があります。本尊の十一面観音立像(重要文化財)は腕を4本現す珍しい姿で、像内に記された銘文によれば1354(正平8)年に、もとは河内国若江(…  
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				−第68回−文化財 仏像のよこがお「大泰寺の十二神将立像」(右)大泰寺十二神将立像【子神像】 (左)大泰寺十二神将立像【未神像】 前回(6月28日号)、那智勝浦町下和田の大泰寺薬師堂の脇壇に安置される、1281(弘安4)年造像の不動明王立像と毘沙門天(びしゃもんてん)立像につ…  
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				−第67回−文化財 仏像のよこがお「大泰寺の不動明王像と毘沙門天像」(右)大泰寺不動明王立像 (左)大泰寺毘沙門天立像 那智勝浦町下和田の大泰寺薬師堂に安置される、那智山僧尊誉(そんよ)によって1156(保元元)年に造像された本尊像(指定名称は阿弥陀如来)については、本連載第24回(2…  
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				−第66回−文化財 仏像のよこがお「那智山青岸渡寺の阿弥陀如来坐像」阿弥陀如来坐像(那智山青岸渡寺蔵) 前回(4月26日号)、熊野那智大社に伝わる桃山時代造像の熊野十二所権現像を紹介しました。豊臣秀長によって始められた那智山復興造営の最終段階で、秀長が1591(天正19)年の正月に死去し…  
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				−第65回−文化財 仏像のよこがお「熊野那智大社の熊野十二所権現像」男神としてつくられた熊野那智大社夫須美大神坐像 那智勝浦町の那智山は、落差133メートルの那智滝をシンボルとし、山中に熊野那智大社と那智山青岸渡寺が建ち並ぶ神仏習合の聖地景観が今に継承されています。古来人々は、那智滝に…  
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				−第64回−文化財 仏像のよこがお「葛城修験二の宿の大威徳明王像」西念寺大威徳明王騎牛像(修理前(左)と修理後) 和歌山市西庄の山中、葛城修験二の宿にあった神福寺から、明治時代初期の神仏分離と修験道廃止によって、麓の西念寺に移された地蔵菩薩立像について、本コラム第43回(2023年6…  
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				−第63回−文化財 仏像のよこがお「 本宮護摩堂本尊図像の伝播」不動明王坐像(個人蔵) 前回(本紙2025年2月1日号)、田辺市本宮町湯峯の東光寺に伝来する1463(寛正4)年造像の不動明王坐(ざ)像が、もとは本宮(熊野本宮大社)境内にあった護摩堂の本尊像だった可能性が高いことを紹…  
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				−第62回−文化財 仏像のよこがお「熊野本宮護摩堂本尊と湯峯東光寺」東光寺不動明王坐像 熊野本宮大社から大日越を越えた山中に温泉が湧き出る湯峯があります。藤原宗忠が1109(天仁2)年の熊野参詣の際、当地を訪れ「湯屋に於いてこれを浴びる。谷底に温湯・寒水並び出ず。誠に希有の事なり」と、日…  
 
					 
					











