−第62回−文化財 仏像のよこがお「熊野本宮護摩堂本尊と湯峯東光寺」

東光寺不動明王坐像

東光寺不動明王坐像

熊野本宮大社から大日越を越えた山中に温泉が湧き出る湯峯があります。藤原宗忠が1109(天仁2)年の熊野参詣の際、当地を訪れ「湯屋に於いてこれを浴びる。谷底に温湯・寒水並び出ず。誠に希有の事なり」と、日記『中右記』に記しています。熊野参詣者の垢離場(こりば・心身を清める行場)の一つで、今も世界遺産のつぼ湯につかる人が絶えません。

泉源上に建つ東光寺の本尊は、噴出した温泉の石灰成分が堆積してできた薬師如来像(湯胸薬師)で、温泉とともに信仰の場が形成されたことがうかがえます。かつては、東光寺脇に湯峯王子の社がありましたが、現在は背後の丘の上に移されています。

東光寺本堂内には、迫力ある姿でひときわ目を引く不動明王坐(ざ)像(像高77・2㌢)と眷属(けんぞく)の二童子像が安置されています。大きな巻き貝状の頭髪が特徴的な中尊像は、目鼻も大ぶりで、やや緩みのある肉付きのよい体型や脚部の衣紋の角張った形状など、室町時代の特徴を示しています。頭部内面に、1463(寛正4)年に七条西仏所の康永が造像したと記され、運慶の末流で、このころ東寺の大仏師職だった正統仏師によって造られたことが分かります。

東光寺では、本像の存在は江戸時代後期以降の資料でしか把握できません。湯峯王子とその別当東光寺は本宮の境外末社で、江戸時代中期に本宮で神仏分離が行われた際には、湯峯多宝塔に仏像が移された事例があり、本像も同様のようです。

『熊野年代記』寛正2年条に「四月九日申ノ刻本宮炎上、五月仮殿作」とあり、本宮炎上という状況が把握できます。その後、寛正6年11月に遷宮を行う計画があり(熊野速玉大社文書)、従来は新宮のこととされていましたが、同年同月の日付を記した文台とすずり箱が熊野本宮大社に伝わることから、この遷宮が本宮であると判明します。つまり、寛正4年の不動明王二童子像の造像は、寛正大火後の本宮復興造営に伴うものだったのです。安置場所は本宮境内の護摩堂とみられます。同堂はその後、享保年間(1716~36)に神仏分離のため撤去されており、湯峯への移座もそのころの可能性があります。

熊野三山検校(けんぎょう)として、その統括を行った京都・聖護院には、本像とよく似た不動明王坐像が伝わります。当代随一の仏師が造像した旧本宮護摩堂本尊像は、室町時代の熊野修験を象徴する重要な仏像なのです。県立博物館の特別展「聖地巡礼―熊野と高野―第Ⅴ期 蘇りの地・熊野」で公開(2月1日~3月9日)。
(奈良大学准教授・大河内智之)

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