−第40回−文化財 仏像のよこがお「丹生都比売神社神像の作者は誰? 」

三谷薬師堂の丹生明神像

三谷薬師堂の丹生明神像

 平安時代後期から鎌倉時代後期にかけて、丹生都比売神社(かつらぎ町上天野)とその所領(六箇七郷)は仁和寺(京都市)の支配下にありました。仁和寺宮覚法法親王が、1147(久安3)年に高野参詣した際に、表参道である町石道ではなく、三谷坂を使って天野から山上に向かったのもそれが理由です。

一方、高野山上は東寺(京都市)の影響が強く及んでいました。高野山上と山麓の鎮守社は、真言宗の2つの大きな権門の権力争いの場でもあったのです。例えば、高野山史上に著名な金剛峯寺と大伝法院(現在の根来寺)の山上統治の正統性を巡る闘争も、金剛峯寺が東寺方、大伝法院が仁和寺方であったことを知れば、その争いの構造をうかがえるでしょう。

前々回(1月28日号)、丹生明神と高野明神をまつる丹生都比売神社に第三殿として付け加えられたのは、一般に知らている気比明神ではなく、天野の近隣、渋田荘(志富田荘)の荘鎮守である蟻通(ありどおし)神であったことを伝えました。

この渋田荘の領主は大伝法院です。1151(仁平元)年の大伝法院と興福寺(奈良市)が渋田荘の領有を巡り、争った際の書状「大伝法院住僧等陳情案」に、「奉高野鎮守丹生大名彼第三神宮、今現在于当庄内」とあり、丹生都比売神社に大伝法院領内の神を併せてまつったという状況が推測されます。前回確認した通り(2月25日号)、高野山上で四社明神が直ちに受け入れられなかったのも当然のことなのです。

丹生都比売神社の社殿に安置する銅製神像の木型、三谷薬師堂の女神像を造らせたのは、鎌倉時代初期、同社の運営を差配した天野院主職にあった行勝と見られます。行勝は仁和寺で得度・加行。不動信仰に厚く、仁和寺宮守覚法親王を介して、藤原氏の氏長者である九条兼実(かねざね)に戒を授けるなど、高い験力を持つ行者でした。

また、高野山上の一心院不動堂を建立し、1197(建久8)年、仏師運慶に八大童子像(国宝)を造らせています。丹生明神像の造像にあたっても運慶の一門を用いたと考えて疑問はありません。高野山麓の仏像や神像は、日本の宗教史、美術史とも直結する情報を多く有しているのです。

(和歌山県立博物館アドバイザー、奈良大学准教授・大河内智之)

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