−第35回−文化財 仏像のよこがお「高野山を救った僧、木食応其 」

木食応其坐像 興山寺蔵

 木食応其(1536~1608年)という僧をご存じでしょうか。豊臣秀吉の右腕として京都・方広寺(東山大仏)や東寺、醍醐寺(だいごじ)、厳島神社など多数の寺社の造営に携わった高野山の勧進聖(かんじんひじり)です。近江国佐々木氏の出身で、高野山には天正元(1573)年に登り、出家したことが、連歌の作法を説いた自著の『無言抄』に記されています。

天正13(1585)年3月、天下統一を目指す羽柴(豊臣)秀吉が紀州に向けて出兵しました。20万人ともいう圧倒的な兵力で、泉州にある根来寺の出城群はたちまち壊滅。23日に根来寺、24日には粉河寺を炎上させ、さらには太田城にこもった雑賀衆を大規模な水攻めにより攻略したことで知られます。

秀吉は高野山には攻め込まず、高野山側も抵抗せずに降伏。6月には高野山金堂の再建費用を寄進して、その造営を応其に任せています。7月に、その礼のために高野山の高僧2人と応其が大坂城に登城すると、諸大名らの前で秀吉は「高野の木食と存ずべからず、木食が高野と存ずべし」と告げています。高野の木食ではなく、木食の高野であると、秀吉は応其を高く評価しているのです。つまり、応其の存在ゆえに、高野山は戦火を逃れたのです。

紀の川市桃山町最上に、応其が高野山麓の拠点とした興山寺があり、天正18(1590)年に造像された応其の肖像が残されています。像高84・7㌢の等身大の像で、正面を見据えたその表情からは強靱(きょうじん)な精神力がうかがえ、生前の応其をほうふつとさせます。像内の銘記には、応其の執事であった覚栄が造像を差配したこと、そして「高野山中興開山之本願木食興山上人応其」と像主名が記されています。

自らを中興開山、すなわち高野山の新たな出発の礎であると記した強烈な自負には、「木食の高野」と告げた秀吉の絶対的な権力を背景にして、高野山上と山麓の支配にまい進した、その絶頂期のたかぶりをもうかがえます。
(和歌山県立博物館アドバイザー、奈良大学准教授・大河内智之)

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