−第80回−文化財 仏像のよこがお「講が伝えた奈良仏師の仏像」
- 2026/7/23
- コーナー
- 文化財 仏像のよこがお

菩薩形坐像①
講が伝えた奈良仏師の仏像
かつての高野山領神野真国荘内、紀美野町毛原地区に大日講という講がありました。山中の大日堂を維持・管理し、定期的に法要を行っていましたが、講員の高齢化と減少により、2011(平成23)年ごろに活動を休止、その後解散しました。
大日堂の本尊として伝えられてきたのは2体の菩薩形坐像(ぼさつぎょうざぞう)です。金剛界・胎蔵界の大日如来像として伝来してきましたが、両像とも五指を握った左手(拳印)を腰脇に構える姿は、胎蔵界曼荼羅(まんだら)中の四摂菩薩(しじょうぼさつ)と近く、本来は密教系の菩薩像で群像の一部として造られたとみられます。

菩薩形坐像②
菩薩形坐像①(写真上)は像高58・9センチ、頭体通して正面中央で左右に二材を寄せ、上腕の半ばで部材をつなぐ特徴的な木寄せがみられます。平安時代初期の密教彫像を手本としており、やや厳しい青年のような風貌と、着衣や衣紋の表現も含めて、1176(安元2)年に運慶が造った奈良県・円成寺大日如来坐像につながる表現がみられます。平安時代末期ごろの奈良仏師の作例と判断されます。
菩薩形坐像②(写真下)は像高59・2センチ、頭体通して1本の木から彫り出し、前後に割っています。丸く穏やかな風貌、緊張を解いた座り姿、脚部の浅く優雅で装飾的に整えた衣紋表現など、平安時代末期ごろの特徴を示します。腰布の背面にある横じわは、1151(仁平元)年に造られた奈良県・長岳寺阿弥陀三尊像の脇侍菩薩像をはじめ、奈良仏師の仏像に特有に見られ、本像もまた奈良仏師作例と判断されます。
大きさが一致し、ともに奈良仏師の特徴を示していることから、同時期に同工房で造像されたと考えられますが、表現や構造に違いがあるのは不思議です。12世紀後半、奈良仏師が主導した仏像様式の変化の過程がそこにはみられます。
『紀伊続風土記』によれば江戸時代初期(慶長年間)に別の場所から移されてきたことを伝えています。おそらく造像当初は高野山上に安置されていたのでしょう。高野山麓の講が守り伝えた仏像は、高野山の宗教文化の高い水準とその広がりを、今日に伝えてくれています。
(奈良大学教授・大河内智之)
関連キーワード










